My Life is In Here

気分気ままに思ったことをつらつらと…

課題

ただいまterm essayに追われてます。

 

みんな4月~5月は学期終わりということで、なにかと追われているのですが、僕のコースの場合この時期に修論計画書等の準備に取り掛かるのでかなり、というかものすごく忙しいです。

 

計画的にやりなさいと教授陣からイースター前に言われていて、しっかり計画的にやってきた人はともかく、僕みたいにイースターをのんびりテーマを考えるだけで過ごしてきた人は、今でもこうして、本当はこんなものを書いてる暇もないくらいなんだけれども、一日中、朝起きてから深夜寝るまで机に向かってます。

 

今期は自分の研究したいことを研究できているので忙しいのに楽しいです。ただ、やっぱり思うのは、問題解決の手段として教育は必要だけど、教育の中の問題に焦点をあてるとなると、なかなか関心が持てずに苦労しています。

 

また、大学時代にある程度自分の意見とか立場は固めてきたのですが、ここにきてびっくり、ひっくり返してはまたひっくり返している感じが毎日のように続きます。

 

僕のコースでは、僕の考えとかなり近い教授陣がそろっていて、それもあって今の大学院を選んだのですが、「批判する」という癖をつけてしまったせいか、どうしても批判をしたくなって、本来の立場とは異なる視点で語りたくなってしまうのです。

 

これは今まであまり深く考えてこなかった自分の立場の反対側の視点を考え、養うかなりいい経験になっているのと同時に、自分の考えが定まった、自分はある程度勉強してきたという自信が崩された感じがします。反省。。。

 

となると、この分野を全く勉強してこなかった周りはどう思っているのか、かなり気になるところ。話をしていると大体教授達の影響を受けているように見えるのですが、僕はやっぱりそっちの立場が好きなのかむしろ嬉しかったりします。本当は最近考えている真逆の考えを周りにぶつけてみたいのですが、なかなかその機会がないままにすべての講義が終わってしまいました。

 

となると、やっかりなのはエッセイ。やっぱりエッセイを書くからにはしっかりとした自分の考えと立場を持たなくてはいけません。そしてそれを過去のデータから根拠をもって証明しなければいけません。

 

このふらふらした状態でこれをやってのけるのはなかなか大変。というか、個人的には今書いてるすべてのエッセイを、もう少しじっくり分析して修論に出したいくらいです。(…ただし修論は少し異なるテーマ)

 

まあ、自分の関心分野(平和構築と教育)は、今までも一ミリもずれてないので、この道であっているであろうし、この道のことを書いている以上、修論にもわりといかせます。

 

修士にいるとなかなか面白いもので、少人数クラスの中に正直自分と近い関心を持った人が多いのかと思えば、意外とそうではなかったりします。例えば、同じ平和と教育に関心があっても、物理的な暴力の話だったり、平和教育の話だったり、国民形成の話だったり、様々です。

 

そして教授陣もかなり少ないので、その手の分野の人がいたとしても、必ずしもその人が自分の関心分野について精通しているとは限りません(当たり前)。例えば、平和と教育の分野の中で特に難民教育に関心があったとします。教授陣の中に平和と教育のことをやっている人がいるからと言って難民教育に詳しいかと言われれば、案外そうでもなかったりします。

 

また、以前も書いたように、イギリスにいる以上、イギリスの関心分野やイギリスの関心地域の論文が多いです。そのため、日本のJICAで働きたい。特にアジア地域で働きたいという人には、正直比較するという意味ではいいですが、なかなかエッセイを書くのは難しそうです。

 

こういうことを考えて、しっかり自分にあった大学院を選ぶのがいいのかなあ、とこの時期になって考えるようになりました。

 

特に修士までくると、本当に自分が何を研究したいか、というのが大事です。考え方はいくらかわってもいいんですが、自分の関心分野がふらふらしていたらきっと苦労すると思います。

 

また、不思議なことに、大学院に来てまでも他人と点数を比較したがる人が多いのですが、こういう条件下なので、エッセイは他人と比べてもどうしよもありません。エッセイは必ずスコアと共にかえってくるのですが、関心分野も自分の意見も、担当教授もすべてが違うのに、他人と比べて自分はよくできたとかダメだったとか言えるはずがありません。

 

もちろん、ある程度の文法だとか、ロジックとかそういうのは比べられるかもしれませんが、それぞれの状況が異なるのに、他人と比べて点数が高かったとか、そういうことは考えるだけ無駄。せいぜい優越感か劣等感か安心感を抱けるだけです。

 

なにより、自分が研究したくて来ているはずなのに、どうして点数を他人と比べようとするのか、不思議でなりません。僕は、今書いているエッセイもそうですが、正直なんとなく点数の予想ができます。根拠が足りない、論理が飛躍している、議論が広がりすぎ…。自分でこのエッセイを楽しんでいても、自分のエッセイの出来が良くないことに不満はたまります。もっと時間があればとか、計画的にやればとか、そもそもなんで自分の仮説に応えられる資料が見つからないのかとか、もう苛立ちまくりです。

 

こうやって不十分なまま提出して中途半端な点が返ってくる。でもそれは自分でわかっていることだし、自分が研究したかったことができているだけで嬉しいし、なにより肝心なのは修士論文。修士論文で論じたいことをしっかり論じられるように準備するのがこのterm essayだと思います。

 

1年という短い期間でこれらすべてをこなすのですから、楽そうに見えて、案外楽じゃありません。